一時期、アメリカのネイティブインディアンに凝っていた時期がありまして、
その「言葉」や「精神性」にいたく感動して、
影響を受けました。
最近だと、スピリチュアル系なんて言葉が流行ったりもしていますが、
論理(ロジック)が先行される現代社会において、
非論理(ノンロジック)というものが低く見られがちに思うことがありますが、
人間性というものを考えた時には、
本来両方必要だよという気がしています。
たとえば、神社にお参りに行くのは、
論理的にどうこうというわけじゃないですもんね。
まあ、あまり深入りしてしまうと、
おかしな考え方になってしまうこともありそうなので、
注意も必要ですけどね。
さてさて、本題のネイティブの教えですが、
筆者が感銘を受けたオライア・マウンテン・ドリーマー という
ネイティブ・アメリカンの長老の詩を紹介してみたいと思います。
オライア・マウンテン・ドリーマー の詩
長文になりますが、心に響く詩なので、ぜひ読んでみてください。
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あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。
私はあなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。
あなたが何歳かということも関係のないことです。
あなたが愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることができるか知りたいのです。
あなたがどの星座の生まれかということもどうでもいいことです。
あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、
それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。
あなたが、自分のものであれ人のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、
それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。
また、喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、
恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。
気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないさなどと言わずに。
私はあなたの話すことが本当かどうかには関心はありません。
私はあなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえあえてすることができるかどうかを知りたいのです。
たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。
たとえ不実だと言われても、そんな時にあなたがどうするかによって、あなたと言う人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。
私はあなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。
私は、あなたがたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることができるかどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かってイエスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。
あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。
それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、子どもたちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。
あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここに来たかは関係ありません。
私とともに決してひるまずに炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。
あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。
私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。
私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。
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もう何というか、水の底につれて行かれるような詩ですよね。
自分をしっかり持ち、
かつネイティブのように謙虚に生きていきたいと思いますね。