突然ですが、説教されたことはありますか?
誰でもありますよね。
生きていれば、仕事であれ、知人であれなんらかのお説教に出くわすのが人間です。
もともと宗教から来ている言葉なので、
いわゆる有難い法話というのが本来の姿なのでしょうが、
実際の所はどうでしょうか・・・
「説教とは説いている側は酔っていき、聞いている側は冷めていくものである」
これは先代の社長の言葉なんですが、
見事に説教の本質をついた名言です。
講師をやっていたからそういう感覚がよく分かるんでしょう。
説教は今ででいうと「ウザい」お話の部類に入ってしまい、
「上司の説教が長くて参った」とか
「あの人いつも酒の席で説教始めるからな」など
全体的にめんどくさい話という印象で、
説教にネガティブなイメージこそあれど、
ポジティブなイメージを持っている人はあまりいないでしょう。
問題は、話し手が酔っていくことと、聴き手が冷めていくこと この2つの相関にありそうです。
なぜ話し手は酔っていくのか?
なぜ、説教を話している側は、自分に酔っていくのでしょうか。
酒に酔っている場合の本当に酔っている時もありますが、
結論から言ってしまうと、要は「自分が気持ちが良いから」でしょう。
自分の話は正しくて、お前らはそれを全面的に理解すべし!
という感覚で説いていることが多いですし、
自分の話は高尚なんだという意味の分からない勘違いをして、
のべつまくなしにしゃべっているので、聞いている側からするとかなり厄介です。
これは、個人差もありますが、その人の承認欲求ともつながっていると思います。
なので、やはり周囲からすると説教はめんどくさいということになります。
なぜ聴き手が冷めていくのか?
なぜ聴き手が冷めるか?
一番の理由は「話している側はこちらの話を聞いていない」ということがありそうです。
つまり、説教は一方通行だということです。
ほとんどの説教は、対話になっていないんですよね。
その人の価値観を押し付けるような形になってしまっていて、
聞いている側の本音は「あー早く終わらないかな」とか
「この人、自分の言いたいこと言っているだけだな=人の話聞いてないな」となってしまう。
これが説教に聴き手が冷めていき、説教に辟易する理由かも知れません。
いずれにしても話をする側は気を付けなければいけません笑
この多様化する価値観の時代に、自分の価値観が正しいと思い込んで説教するのは危険です。
なので、今一度、自分自身がそうなっていないか戒める必要がありますね笑
また、今はパワハラなどで説教もしずらい時代になっているかも知れませんが、
できない、やりずらいとなると、それはそれで肝心な時には問題もありそうです。
昔は頑固おやじが結構いて、叱られたりして、内省することもありましたが、
今はそういう人もあまり見かけません。
説教がましくなく、うまく誘導する対話ができる人。
これが現代に求められる対人スキルかも知れませんね。
説教しないよう、また説教されないよう
先代の言葉を忘れずに、気をつけたい今日この頃でした。