鋼の錬金術師に「七つの大罪」の「怠惰」の化身であるスロウスという敵がいます。
いつも「めんどくせー」「めんどくせー」というセリフで、最後やっつけられて死んでしまいますが、
「死ぬのもめんどくせー」という決め台詞で灰になっていきます。
さて、今日はその「めんどくさい」に注目してみたいと思います。
めんどくさいの正体
どこかのサイトで読んだことがありますが、
「めんどくさい」というのは、人間の本能だということです。
なぜなら、脳はできるだけエネルギーを消費したくないので、
「変化(普段と異なること)」や「新しいこと」や「未知」のことを、
避けるようにできているみたいです。
これが「めんどくさい」を生み出す正体であり、
つまりは人間の本能なので仕方ないということです。
さて、そうなると人間は基本的に「安心や安定」を好むということになります。
まあその通りだと思いますが、
これは、「新しいこと」や「未知のこと」に対して、
「本当は挑戦したくない」というのが裏の本音ではないかという気がします。
隠れているチャレンジ
そういう意味では、人生はたくさんの「めんどくさい」ことで構成されています。
岐路に立った時にやるかやらないかは、自分次第という話になってくるのですが、
当社で毎年開催している洋上大学という海外研修を例にとると、
参加される方の背景は、さまざまで各社各様です。
社内公募制で、自分から手を上げて「参加したい!」と名乗り出た人ではなく、
会社から選ばれた人の場合、選ばれた時点では、「参加するのはめんどくさい」とか「行きたくない」とか思っていることが多いと思います。
しかし、実際に海外に行って研修に参加してみるとどうでしょうか。
最終日には「もう終わってしまうのか」「まだ帰りたくない」という気持ちを
参加者自身が吐露してくれます。
この気持ちの変化の間(はざま)に「チャレンジ」の本質が隠れているような気がします。
つまり、はじめのうちは未知のことだし、
「めんどくさい」「やりたくない」と脳が反応していたことに対して、
行動してみると、気持ちが逆方向に変化していっています。
これって、自分自身で(会社からの人選なので最初は半分あきらめかも知れませんが)
新しい未知の領域に踏み出して行動したこと=「チャレンジしたこと」によって、
未知が未知ではなくなり、脳が徐々に現状を認識し、受け入れて安定し、
気持ちそのものが変わっていっているような気がします。
「行動」がめんどくさいを消していく
洋上大学の例をみても、
行動することそのものは、脳に何かしらの変化を与え、
最終的に「めんどくさい」を消していくのではないでしょうか。
現代は、目の前の2次元の画面を見て判断や決断、
あるいは分かったつもりにしていることが多い世の中ですが、
自分が行動した経験に勝ることは出来ないと思います。
「めんどくさい」というものは、
実はその人に契機が与えられて、行動を促すための潤滑油みたいなもののような気がします。
最近は、フレンドフレーションなんて言葉も若い人を中心に出てきているようですが、
これの裏にある本質は「めんどくさい」で、
やり過ぎると、逆に自分自身の何かを受け入れることの幅が狭まり、
「めんどくさい」をどんどん増やしていっちゃうだけです。
「鋼の錬金術師」に話を戻すと、
「めんどくさい」ことを避けることは、自分の未知の領域を狭めるだけだし、
自分の「怠惰」と「傲慢」が増えていくだけだよな、と思ってしまった本日でした。
